4/30/2012

エスカレーター・ペスカトーレ


三軒隣の子猫が遊びに来るようになって今日で六日目となった。
昨日は付き合って二年経つ彼女と郊外のショッピングモールへ出かけて、なにやら沢山お買い物していた彼女は今もまだベッドの中で惰眠を貪っている。青いふかふかのマクラにうねうねと広がる髪の毛は気味の悪いイカスミパスタのようで、そういえばそろそろ十三時になるなと僕は思い出す。
気味の悪くないイカスミパスタなんて無いんじゃないかな。

そういえば昨日のショッピングモールにあったむやみやたらに長いエスカレーターで僕に背を向けながら彼女が呟いたわたしがほんとうはケースオフィサだったらどうするが忘れられないでもすぐに忘れたい。
日曜日に相応しいカラっと晴れた青空の下で、さっき干したばかりの二枚のバスタオルが風に揺れている。
足元でじゃれつく子猫を裏返しながら、彼女はいったいいつ起きてくるのだろうかとぼんやり考えた。
昨日はだいぶはしゃいでたみたいだし。
でも、
僕の腕の中でだいすきだいすき言ってるよりも、僕だけにしか見せない表情があることよりも、こうして僕が起きているところで彼女が寝ているという瞬間が一番、彼女が自分のものになっている気がする。
下りエスカレーターで僕より一段下で背を向けながら楽しそうに喋っている時とかね。
きっと、アッいま僕は彼女をこんなに簡単にころせるのだ、という瞬間にころさないでいるっていうのが愛だと思うのよね僕の。僕が僕の彼女への愛を感じる瞬間の。
実際のところ、彼女が僕をいつか嫌いになるんじゃないかとか、本当は彼女の愛は醒めてるんじゃないかって不安よりも、自分がいつか彼女を嫌いになるんじゃないかとか、本当に彼女を好きなのかってことの方が怖かったりする。何か食べたいと思うのはおなかが空いているからだし、どうにも眠いのは睡眠が足りていないからだけど、何かを好きになることにハッキリとした原因はない。綺麗だとか、嫌いだとか思うことの原因が曖昧でも意外と生きていけるってことは僕ら、15歳くらいまでに分かることだけど、20歳くらいになってくると好きってことの原因が曖昧だとちょっと怖くなってくるんだよね。
もしかしたら生きていけないかも、なんて思い始めちゃったりする。
だから基盤がグラグラでも「あーやっぱ好きだ!めっちゃ好きだ!大丈夫!」ってゴリゴリ上書されちゃうような自分を信じられる瞬間があると安心するんじゃないかな。やっぱり僕は定期的にエスカレーターで彼女の後ろに立って、自分の彼女への愛を確かめていこう。

頂上からだいぶずり落ちてきたらしい昼の太陽が直接ベッドに挿し込んでくるようになって、ようやく彼女が「ううぅん」とかなんとか言いながらベッドの中でもぞもぞしだした。
僕は足元の子猫を表返しにしてぱふぱふ叩いてしゃんとさせる。子猫は思い出したように三軒隣を目指してヨテテテと帰っていった。僕もぐっと伸びをして身体をしゃんとさせる。それから、未だモヌモヌ言っている彼女の元に戻る。
「もう昼だよ」
ベッドに腰掛けて、彼女の長い髪に指を入れ、梳くと、光に晒されて眩しそうにも未だ眠そうにも見える表情が見えた。
「いまなんじ?」
もう昼の二時、と答えながら彼女の頬を撫でる。彼女がくすぐったそうに笑った。
「あかんあかん、おきないと」
そう言いながら僕をベッドの中に引き摺りこもうとする。
横になってみると思いのほか直射日光が眩しくて、ベッドは暑くて、でも彼女がこんなにくっついてきているし悪くは無いかなと思う。好きだし。

日曜日に相応しいカラっと晴れた青空は遠く、部屋に入ってくる涼風がカレンダーより初早い夏の訪れを感じさせていた。
こんな日々がずっと続いていけばいいな、とぼんやり思った。





4/16/2012

孤独が脊椎に宿ることを君は知らない



きっとなんだか捉えたい感覚というのがあって、そういうものを探すために色々音楽を聴いてみて悲しいとか寂しいとか恋しいとかそういう感覚を探してみるけど、大体どれもしっくりこなくてモゾモゾした居心地の悪さが残る。
相手だってわかってるけど別れ際にまた会おうって言い忘れたな、みたいな心残り。

一人でとぼとぼ帰り道を歩いていたり電車に乗っていたりすると「そうだそうだ」みたいな感じで言葉がどんどん溢れてくるのに、それをフィクションだって良いから残そうと思って白紙を目の前にした瞬間に、何も思い浮かばなくなる。マイナスの感情とか悩みなら忘れた儘で良いじゃん、とも思うけれど、自分としてはこういう頭の中で小説の一節のようにふと浮かぶ感覚をアイデンティティの一つだと思っていたいのだ。
もしも私が芸術家なら作風になっていただろうなという感覚。

「A型なの?私B型だから輸血できないね」という何気ない会話に感じる理不尽な罪悪感というか寂しさだとか、目の前の連れが喫茶店でアイスコーヒーにミルクを入れてすぐにかき混ぜてしまう所を見たときの(ああ、違う。)というパズルピースが嵌らない感じだとか(私はアイスコーヒーの中をミルクがしゅるしゅる踊るように溶けていく様を見ているのが好きなのだ)、誰かと話しながらだんだんその人の話が自分からどんどん遠ざかっていく虚ろさだとか、
そういうものを感じた瞬間。
その瞬間にだいたい、ふわっと思考が飛んで何か掴んでいる。

そうだな、いつも寝ているベッドのシーツを整えようとシーツの端を掴んでふわっとさせたときの、あのシーツが空中で波打ち、その下を空気が流れて、やがてシーツが重力にしたがって落ちてきて、ベッドの上に少し乱れて着地する、そんな感じだ。
そんな感じの隙間だとかズレが心の中で起こる。
ふわっと、空気みたいなのがするっと抜けて、ズレる。

なんだろうなあ。
これが一人の人間に一つの命しか宿らない孤独なのかしら。