11/13/2012

ゴーギャンもきっと同じことを考えていた

私が人間というのは、キャベツ畑からぽこんと生えてきたりど、こからともなくコウノトリが運んだりしてくるのではなく、精子と卵子が接合、受精して生まれるということを知ったのは6歳の頃だったと思う。
本が好きな子どもだったから、マンガで学ぶ人間のしくみ、みたいな本も沢山読んでいた。
ただ、そのころは受精で子どもが出来ること、精子は男性が、卵子は女性が保有しているということを知っているだけだったので、おそらく受精とは、精子が空中を漂って、卵殻へたどり着くのだろうと思っていた。
なんでお父さんとお母さんがハッキリしているのかわからなかったが、そこは何か、愛みたいなモヤモヤっとした事情が上手く采配しているんだろうと思った。
分からないことを親に聞くタイプの子ではなかったので、そういうことで納得していた。

ところで、(生殖行為を目的とせず)無駄に精液を出すことを「殺す」なんて揶揄している話はよく聞くけれど、女性の生理について、殺すとはいわないよなと思った。

ということは、魂は精液に宿ると考えられているのだろうか。

死んだら魂はどこへ行くのか、というのはもう手垢にまみれた議題だろうけど、魂はどこからやってくるのかについてはあまり聞かない。

生命の始まりというか、胎児が人として扱われ始めるのはいつなのか、という話は医学や法学では充分討論されてきた分野だけれど、じゃあある地点から人として生命個体として認識されるとして、そこに宿った魂はどこから来ているのだろうか、という文学的な解釈は一体どうなっているんだろう。

もし精液に魂が宿っていた場合、勿論男性(雄)の魂の一部が削り取られているのだろうか。
腹上死ってもしかして持っていかれすぎた結果なのか。

とういうようなことを考えながら恩田陸さんの『不連続の世界』を読んでいたら、

「精子はあくまでもスイッチであって、それ以外のもんは全部女だけでまかなえるってことだね。クローンなんかは、電気的な刺激を細胞に与えるだけで、あれだけの個体が出来ちゃうわけだし」
「ゲーッ。そのうちほんとに、男なんか必要じゃなくなるってことか」
などと書いてあり、スイッチの真偽のほどはトモカク、精子がなくても生命が誕生するのは事実なので、おそらく魂は別の場所に宿っているか、あるいは別の場所にも宿っているらしかった。
もちろん、クローンに魂が宿っていない可能性もある。
しかし、この話はもはや魂が一体何なのかという話に繋がるのでやめておく。

とすると、卵に魂が宿るということなのだろうか。
排卵って魂を削り取ることだったんだろうか。しかしそうすると、排卵の時点で生命が誕生するほうが理にかなっているような気もするが。
あれ、精子の役目って一体何なんだろう…

疲れてきた。

これが
我々は何処から来たのか、我々は何者なのか、我々は何処へ行くのか
ということか…

11/04/2012

ジンテーゼのロック

温かい紅茶に垂らしたブランデーが心地良い。
少し未来の話をした昨日のことを、思い出していた。

どうにも未来への見方が幼すぎる気がするけれど、どうにも5年以上先を見越して動くようなことができない。精神論で片付く問題ではないのだが。

未来の不確実性というか、あまりにも描く未来が都合のよい前提条件によって成り立っているような気がして怖い。多分心のどこかで、身近な人たちが死ぬ可能性というものをずっと予測している(やがてくる悲しみに備えて)

そもそも大体、自分の人生について振り返ると「なるようにしかならない」という感想ばかり聞く。
まぁそれは決して事前に悟って諦めるための言葉ではないとは思うけれども。

とりあえず現状に満足していないなら考えて悩むよりも、何か、そのためにと考えて動いたほうが有意義。結果的に有意義なのかは別として、不安潰しにはなるよな、というのが最近の行動理念かしら。

どこぞの専門学校のCMみたく「じゃあ僕はxxxになるよ!」とはりきって言えるほど生きていく手段に対して強い意志はないのだ

酔いが醒めるまで少し起きていよう