11/10/2011

秋槻君と水溶性の彼女

秋槻君が彼女の横島さんと別れてからとても悲しんでいる。
この場合の別れというのは男女の価値観の違いなんかで恋人同士をやめるという事ではなくて、もっとシンプルなさよならという意味だ。
秋槻君が恋人とさよならしてからとても悲しんでいるのだ。

そもそも横島さんが水溶性だったことがこの悲しみの原因なのだ。

横島さんは水溶性だった。
横島さんはなるべくしてなったように美術部部長という役職がぴったりくる風貌のひとで、絵は飛びぬけて上手いというわけでもなかったけれど、日の当たる美術室で冷たくない素顔で絵を描いているのがとても印象的で、美術部員達はそういう風景を気に入っていた。
その横島さんが、キスをしたとたんに舌先から溶けていったというのだから美術部員達は驚いた。
もちろん一番驚いたのが秋槻君だったことは言うまでもない。

秋槻君が横島さんの腰に手を回して、胸と胸が触れ合ってしまうくらい近い距離まで近づいて、少しミルクの匂いのする横島さんの唇に秋槻くんはそっと触れて、それからキスをした。初めはお互いの唇の弾力を確かめるような些細なキスだったのに、体の接合を確かめるようなキスになって、とうとう秋槻君の舌が横島さんのミルクの匂いのする唇を割って入り、てろてろする舌に触れて、そのまま絡ませていたというのに、横島さんの舌は絡まったまま抵抗が消えていくので、秋槻君は不思議に思ってキスを解いた。

横島さんの舌は溶けていたのだ。

あっあっといいながら横島さんの口元はするするすると蜜が零れるように溶けていき、床には少し粘性のある透明な液体が溜まっていく。
あっぁつといいながら横島さんの目元に涙がたまったりして今度は頬のあたりがてろてろと溶けていって、秋槻君は気付いていなかったけれど太ももあたりだってとろとろに溶けていた。
そうやって横島さんがあっあっといっていくうちに横島さんの体はもうとろとろのてろてろになっていて秋槻君が抱きしめたってふやふやになってしまって、そうして三日月が沈む頃にはすっかり全部液体になってしまったのだ。

この場合、秋槻君は失恋したのかな。

兎に角横島さんはつまり、秋槻くんの唾液がじわじわ染みていって更には涙やら何やらで溶けてしまったというのだ。

なんと言う悲劇!

そういう事で秋槻君は彼女の横島さんを失って悲しみに暮れているし、美術部員達はいつもの風景がすこしばかり物足りないことに寂しさを感じているのだ。

期末テストが近づいていたが、悲しみや寂しさの前にはそんなもの無意味だった。

横島さんがいなくなったことで多くの人が涙を流していたが(秋槻君もその一人だ)誰一人として溶けたりしなかった。

そうして今でも美術準備室の床では染み付いた油絵の具や石膏の粉に混じって液体の横島さんが溜まりを作っている。

やがて、空気が澄んで空はからりと乾き、冷え込むようになった朝、液体の横島さんが静かにそこで小さな霜を作っているのを見て、秋槻君はまた恋が出来そうな気がしている。

冬になったら、また恋が出来そうな予感がしている。

指先で触れると瞬く間に溶けていく小さな霜に、抱きしめるのは難しいかな、と
少し困ったように笑っている。

秋槻君の彼女は水溶性である。


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