夜も寒いし朝も寒いし気付けば昼間も寒いみたいな季節になっていた。
あっというまに二桁月である。
自分の環境が大きく変化して、意外と順応も早かったりしてなんやかんや時間が過ぎるというよりは、時間を追いかけていた感じがします。
物凄い沢山のものを得たし、物凄い沢山のものを失ったし、これが等価交換だって言われたらハハハって笑うしかないです。大抵の物事はもうハハハって笑うしかない位置までしかいきません。
世の中の出来事は大丈夫か大丈夫じゃないかの二つしかないので言葉にするととても簡単に思えていいですね。生と死しかないから生物は単純って言ってるようなものです。
そんなわけないじゃん(小声)
はっきり言ってしまえば大学卒業までに所持していた物の5/6くらいを失ったわけです。
これはすごい、震災で家とかモロモロ失った人並です。過去が消えるって凄いです。
大事なものとか沢山あっても「命の方が大事でしょう」って言われたらもうそうとしか頷けないません。他の誰でもない自分の理性が納得してしまうので、どうしようもない。
しかして、自分がそれほど物に対してアイデンティティの依拠を行ってきたかと言われると、笑っちゃうくらいモノに対して諦めが早いのである。
まぁこれは「いつ壊るか分からない」っていうのを常に諦めって形で抱いていたからだともいえますが。
自分は、昔から「家」といわれてはっきりイメージできるものがなくて、所謂「実家」というものはあってもそこは帰る場所という認識はなかった。小学校低学年くらいから家は嫌いだったし、4,5年ごとに住む家が変わっていた所為もあるのかもしれない。
帰る場所という意味で「家」といわれてもいまいちピンとこない。
自分はどこに居てもどこにも居ない気がしている。
フワフワとした足のつかない、というよりは足の無い浮遊感。
不安でもないけれど、自分でもある日突然自分がどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかと不思議な杞憂に揺らされる。
それでも意思だとか矜持みたいな、ものはもっと無形の、有形ならば生命体に残してきているはずなので、なんとかなっているんだと思います。たぶんたぶん。
まぁただそれでも死ぬことからは随分遠くになった気がする。
生物的には死に近づいている筈なんだけどね。
どうしてこう、生きるってのは不便なことなんだろうか?ってのはいささか幼すぎる厭世なのかしらん。
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