10/31/2010

グッバイ・イエロー



すごいみんながんばってる。
あたしはとっても高いところからそれを見ていた。

大人はみんなあたしに勝手な期待という名の妄想を押し付けてきて、あたしはあんまり頭に来たから数学のマークシート、全部一個ずつずらしてやった。数ⅡB、きっとセンセイは吃驚するだろうな、次の模試が返ってきたら。××、ちょっと来い、とか鼻の穴をふがふがさせて言うに違いない。私達の担任の数学教師はいつもふがふがさせながら怒る。××、ちょっと来なさい、ふがふが。うひひ。

嫌になっちゃったのは2ヶ月前。
歩いていたときにふっと鍵尻尾の白猫が前を通った時だった。
それまで何も見ていなかったあたしの硝子の目玉は途端に色を認識しだして、世界が物凄く鮮やかに見えるようになった。鍵尻尾の白猫は全然可愛くなくて、だけどその傍にたんぽぽはゆっくり揺らいでいたし何だかよく分からない草も青々茂っていたし、白猫の背中にくっついたままの小さな赤っぽい虫は世界の行方なんて全く考えてないみたいだった。
それでそれまでのそんな世界の美しさみたいなのに全然気付かなかった自分が情けなくなって、あたしはもう世界に合わせて歩くのをやめた。
休日はずっと青空を見ていたし、
帰り道には学校から最寄り駅までどうにかして1000歩で歩いてみることにした。
青猫を見つけたら追いかけることにして、
数学のマークシートはずらした。
世界はこんなにも美しい。らいふいず、びゅーてふる。
あたしは一人で沢山笑った。

家族は嫌いだよ。
皆死体みたいな臭いがするもの。

ここからこうやって眺めていると
みんな物凄く頑張っているのが見える。足早に過ぎ去っていくサラリーマン、参考書を抱えてる女子高生、居酒屋の服を着て走ってるおとこのひと…皆すごく頑張っている。
ここに居るみんなが、ぜんぶあたしよりもずっと頑張ってるの。凄い。
あたしがこうやって85分間ずっと夕焼けを見ている間にも、みんな知識を詰め込んだり吐き出したりして次の予定を考えてる。ねぇ知ってた?太陽って沈むのも昇るのもすごく早いの。朱色は金色と混じって暗くて灰色になっていく空をとても美しく染めるんだよ。
誰も知らないと良いな、と少し思った。あたしだけが気付いていたらきっとすごく価値がある。そんな気がする。
みんなあたしよりずっと頑張って生きてるの、凄いね。
うひひ、と笑って見せた。びゅうびゅう吹く風がいやらしく制服のスカートを捲り上げる。
凄い。
夕日も凄い
綺麗。

あははっ

人生を最高に楽しそうに終えながら
彼女は
48階の
ビルから
踊るようにして
舞い散る木枯らしのように
ひゅーーーーーーーーーーーーーーーーーんと
くるくるくるくる と

飛び降りて
ぐちゃぐちゃになったけど

やっぱり今も楽しそう。

あははっ

10/29/2010

寒椿

涙が止まらない儘に

多分ずっと走り続けてきた

物凄い速さで進んでいく、変わっていく。
自分の周りは驚くほど早く変化に適応している
テキオー灯
欲しかったな。

したかった事はいくつかあったけど
それらはやがて思い出になっていって
今、もう

毎晩のように夢の中で
恐れていたことばかりが起こって
はっとして目が覚める。
気付かない内に磨耗していく神経

分からない事ばかりで
迷ってばかりで
申し訳なくて

涙は止まらない儘に

あんまり良い子じゃないね。

囲う苦痛/過去 鬱屈


もしかしたら私は五千年生きていたのかもしれない、と思った。

少しずつ抜けていく記憶、混ざりつつある思い出に怖くなった事もあった。
8年前の事だったからしら、9年前の事だったかしら。
私には弟なんていないのに、この記憶は、現実ではないの。あの日読んだ物語の中の話。
段々過去は混ざって、現実と虚構の差は曖昧になってくる。あの時降っていたのは雪だったかしら、桜だったかしら。
ぎいぎいと脳の奥が軋みだす。分からなくなる、気付いてはいけない何かをわざと見落としているみたいだ。そしてふと思った、私は本当はもう五千年くらい生きてるんじゃないのかしらって。

生まれたときのことを覚えている
なんていうのは、後から見つけたアルバムの中の写真で確認したことだから
もしかしたら私、八千年くらい前に作られた木彫りの人形に魂が宿っただけかもしれなくて
中も見たことないから、本当にあんな、あんな赤黒くててらてらした臓器や絡みつくような血管が走ってるのかも分からなくて。ぱっくり開いてみたら案外中身は木屑だったりしないかしら。
考えてるのも私のやってる事かしら。
うふふ
誰か私の考えてる事、作ってるのではないの。

五千年も生きてたら、きっと
三千年くらい前の事なんて、七百年前の事と区別つかないかもね。
昨日ついたと思っていた傷は、五十年前のものだったりして。
もうね、きっと四千九百八十年間の事は、殆ど忘れちゃっているのよ。
ごめんなさいね、初恋のひと。

あぁ早く死にたいなぁって
何回思ったのかしら、私。

もうずっとこのまま、時が止まればいいのにって
何回願ったのかしら、私。

愛してるって何回言われて、好きだって何回言って
ごめんなさいって何回
赦してもらえたのかしら。

夜の奥から吹き荒ぶ冷気は、この古い建物の汚れた窓ガラスをみしみしと揺らし、一人怯えている私へと密か寄り添ってくるのでした。星も見えれば何か変わったかもしれませんが、生憎月すら見えず、こんな夜ではよだかも星になれまい、と空想の悲しみに思いを馳せているのです。痛くなる胸、いえ心のようなものを必死で守りながら、右手の人差し指で右足にゆっくりとSの字を書いてみました。それから少しずらして、横にOの字を書くと、それだけで右足はいっぱいになってしまい、最後の一文字は諦めるほかありませんでした。ゆっくりと朝に近付いていく夜は、恐ろしく、荒めに呼吸をして生きている事を確かめる他、生き延びる術は無かったように思います。

残念ながらもう忘れてしまった四千九百八十年間の中で
やってなかった事はなんだったかしらって
最先端の機械を触りながら少し楽しくなるの。

そうやって笑う私は
二人いるみたいで、それはまるで、
ゆっくりと狂っていく
古時計のようでした。

10/27/2010

もゆらティンティナビュレーション

囈 語


憤懣はいま疾にかはり
わたくしはたよりなく騰って
河谷のそらに横はる
しかも
水素よりも軽いので
ひかってはてなく青く
雨に生れることのできないのは
何といふいらだゝしさだ



詩の朗読会とかしたい、とふと思った。

囈語(げいご)、というのはうわ言、寝言、という意味です。
初見の漢字や熟語でも、見た瞬間にぱっと読めるようになってきました。意味もだいたい分かります。勿論、文脈もありますし、どこかで見たのを忘れていて知識だけが無意識に沈んでいるだけかもしれませんが、言語の真髄を見たような気がしました。
英語も、もしかしたらこんな感じなのかもしれません。

さて、言語、賢治といえばエスペラント語ですが、
この間、少し調べていたら本当に美しい言語なのだなと思いました。
______________
Ami は「愛する」という意味です。接頭辞や接尾辞をいくつか覚えれば、簡単に新しい単語をつくることができます。
Amo(名詞は -oで終わる。)
Amego情熱-eg は「大・強」の意。)
Amas愛している-as は「現」の意、すなわち現在形。)
Ekamas恋に落ちるek- は「始」の意、または瞬間の動作。)
Ametas少し愛している、好き-et は「小・弱」の意。)
Amegasとても愛している、熱愛する-eg は「大・強」の意。)
Malamas憎むmal- は「反」の意。)
Malametas嫌いmal- は「反」、 -et は「小・弱」の意。)
Mi amas vin.私はあなたを愛している。


1つの意味を持った言葉がツリー式に変化して言葉を作っていく。
エスペラント語を学ぶと他言語を学び易くなる、というのはこれが言葉が作られていく根本だからでしょうか。特に「愛しているの始まり」で「恋に落ちる」という言葉の作られ方に感動しました。
言葉フリークなのかもしれません(今更)

最近、暇な時は短歌を考えるようになりました。
バスの中で指折り空想している人がいたら私です。

タイトルの言葉は朝一で思いついて、自分で感動しました。
まほらミスティフィケーション、に合わせて「ひらがな+英語カタカナ」を考えていたら思いついた言葉ですが、ここ3ヶ月で一番の閃きだったと思います。(少しうきうき)

未来は真っ黒ですけど、2分先だけが少し明るくて楽しいので短めに生きていきたいです。

10/25/2010

まほらミスティフィケーション

囈 語

竊盜金魚
強盜喇叭
恐喝胡弓
賭博ねこ
詐欺更紗
涜職天鵞絨(びらうど)
姦淫林檎
傷害雲雀(ひばり)
殺人ちゆりつぷ
墮胎陰影
騷擾ゆき
放火まるめろ
誘拐かすてえら。

『聖三稜玻璃』山村暮鳥/青空文庫より

10年間使ってきた腕時計がそろそろ寿命なのか本格的に狂いだしている。
去年から寒さには劇的に弱くなっていて、冬の夜間は止まる事が多かった。
今、すでに昼間でさえ、動かなくなってきている。
2秒毎に2メモリ分動いて、なんとか正確な時を刻もうとする献身さに涙が出そうになった。ありがとう、もう頑張らなくても良いよ。朝からずっと8時19分を指す腕時計をしている。最早微かに揺れるだけの秒針を見ながら、自分の時間でさえも止まったように思う。

捨てるという行為が苦手だった。
最後に行った東京デズニーランドのパンフレットや、海外で買ったペットボトルや、誕生日プレゼントの包装紙、年賀状、ちぎれたネックレス、捨てられずにどんどん溜まる。
利用価値があるかどうかではない。ただ、そこにある思い出だとか人の気持ちみたいなものが、消してしまってはいけない気がして捨てられないのだ。映画の半券はもう、印字は消えてただの白い紙になっている。増えるばかりで引き出しはもうぐちゃぐちゃだし、押入れもごちゃごちゃになる。だから、半年に一度くらい、思い切ってそういうものを捨てるようにはしてきた。そうやって捨てるたびに、自分の所有物は2/3くらいになった。
年を重ねていくと、要らないものに気付くようになる。手に入れないという選択肢も考えるようになる。昔よりは遥かに捨てることに抵抗がなくなってきた。
今、どれほどの物を持っているだろう。

動かない腕時計には自分の体温が伝わって、仄かな温もりを持っている。
こういう瞬間、今まで全く気にしたことなんてなかったのに「大きな古時計」を思い出して、嗚呼あの歌を作ったひともこんな気持ちだったのだろうか、と思う。
動かない時計を見つめて時間を忘れたりしたのだろうか。
自分の時間が止まりそうな感覚を味わったのだろうか。

時々、悲しむために理由があるのか、事象があって悲しんでいるのか分からなくなる。
好きだから恋人なのか、恋人だから好きなのか
楽しいから盛り上がっているのか、盛り上がっているから楽しいのか
感情が先にあるのか言葉が先にあるのか分からなくなる。不安になる。
前も似た様なことを言っていた気がします。

独りじゃないから寂しくないことも無いし
楽しいから切ないと思わないことも無い。
きっと、寂しさだとか切なさが消えている瞬間っていうのは結局の所、「そうでない」という否定でしかないという事なんでしょう。

という感じの事を友人が言いたがって混乱していたような気がします。
違うかも。でもこれは私の言葉。

暫く降り続く雨はどこの地を固めようとしているのでしょう。

10/23/2010

どれほどの速さで生きれば、君にまた会えるのか。



何かに縋っていなければ生きていくことが出来ないような、生き方がある。
例えばもう忘れられている約束を一人、ずっと守り続けているような。

「こんなところにくるはずもないのに」
「こんなところにあるはずもないのに」
「こんなところにいるはずもないのに」
の時にフラッシュバックのように映像が次々と切り替わるのが切ない。

日常で、ふとした時に突然過去に引き戻される瞬間がある。
生きていく中で、記憶の外部メモリはそこここにある。
散る桜の花弁であったり、霞む下弦の月であったり、雪の冷たさであったり、思い出と呼べるほどの立派な記憶でもないのに、現在触れている桜や月や冷たさが過去のものと時間を越えてリンクする。
そういうトラップのようなトリップに
戸惑いつつも、仄かな慈しみを見出していたりする。過去は思い出すたびに悲しくなる。
写真を撮る意味はきっと、そのトリップを意図的に安易にすることにあるのだろう。

大事な記憶ほど、思い出すために忘れようとするのかもしれない。

『秒速5センチメートル』はやっぱり桜花抄が一番好きですが、コスモナウトと秒速5センチメートルがあってこそ、あの最初の切なさは際立つと思います。
冬の夜に温かなコーヒーを入れて、暫くしてからふとコップに触れたとき、さっきまでの温もりが嘘のように陶器が冷えている事があって、中に残った少しばかりのコーヒーでさえすっかり冷えてしまっている。捨ててしまえば良いのに、勿体無くて残りを飲んだらやっぱり冷たくて、「あぁ」と思う。
なんか、そんな感じの映画です。

10/21/2010

虹星


この季節の夜8時くらい、風の強い日に、地上近くで光る時だけ様々な色に揺れる星があるそうだ。
カペラ。
風に光が蝋燭のように揺れて、と様々な色を見せるので虹星と呼ばれる。

友人の報が続く。
とても嬉しい。おめでとう良かったね、としか言は紡ぎ出せないものの、思っていることはきっとそれ以上だ。それを確定的にせと呼ぶのはどうかとも思うけども、私は、自分の周りの人がせであればもう望むことはないよ。

休みをください、に言うつもりだろう。


が近付いてている。

10/19/2010

さよならまでの距離

難しいよね。
としか言えませんが。

無意識に大切なものを減らそうとしているって気付いてる時点で無意識じゃない。

ほんとは、ほんとはしたいことなんて一つもない。

なんて。

10/18/2010

散歩日記

ダムのみずをながしかわのみずがふえることがあるからきをつけよ

ダムのみずをながしかわのみずがふえることがあるからきをつけよ

面白い。
コアなファンにしか受けない、芸術色の強すぎるインディーズバンドの歌みたいな感じ。
多分、この面白さが分かる人は少ない。



う、うわぁ古墳だ!
と思って近付いたら



これ、トイレなんだよ。
トイレ、公衆トイレなんだよ。(強調)

古墳みたいなの。
でもトイレなの。
墓守人がいたと思ったら、トイレの利用者でした。凄いよね。凄いよね。
古墳みたいなトイレ。

これ見つけたとき、夜1時くらいでさ。
友達と大爆笑しちゃったよ。
正確にいうと、笑っていたのは私だけで、友達はトイレに爆笑してる私を笑っていたんだとおもう。

でも外からみたらトイレに爆笑してる2人だと思うからいいや。
プラネタリウムを観に行ったのに休館日だった。

仕方なく近くのベンチで読書。

チェックのスカートと本って似合う気がした。

目の前の川原では芝生の上を色んな家族が転げ回ってて幸せそうでした。
神様になった気分。
帰り際。
いいよね。

いいよね、ああいう雰囲気。

恋人同士かな。

恋人同士じゃない方がロマンチックだよね。




最近はずっとこうやって沢山のものを見直している。
歩くときも音楽プレーヤを聞かずに街の音を聞いてみたり。
ベンチにすわってぼーっと1時間くらい子供を見ていたり。
家族で遊びに来ているとね、大体皆立派なカメラを持ってるんだな。一眼レフっていうの、ごついやつ。それで、小さい子が走り回っているのを大人が嬉しそうにシャッター切ってるの。私も小さい頃の写真って沢山あって、小学校低学年くらいまでのアルバムって15冊くらいになっていたと思う。こうやって、沢山集まっていったんだろうなぁと考えるとじんわりするね。

本当、老若男女たくさんの人が歩いてる。
最近、お外で友達と喋ったり、だらだら一人で歩いたりする事が多くなって、それはもう前よりもずっとずっと沢山の事に気付く。知識は本の中にあるけど、哲学はお外にありますね。
なんだか余生を送ってるみたい。
ふふ。思い残すことがなくなってきたなぁ。

10/17/2010

例えば。

こういうことしたいよなぁ。

って思ったけど
もうコントローラはワイヤレスだし
今時ネットでどうにでもなるから攻略本なんてあまり買わないんだろうし

憧れている間に世間はどんどん進んでいってしまいました。

小さい頃、できなかったことをするために大人になっている気がします。
いつになったら出来るんでしょう。

10/16/2010

夢見

が、あまりにも悪くて少し気分がDown

ここのところ、目も肩も腰も痛いの。

会いたいなぁって思ったときに限って
誰もいない、不思議。

夢だったよな、現実じゃないよなって確認。
あーあ。

10/12/2010

ノンフィクションというリアリティ

そこがこの世の果てだとしてもそれが悲観に値すべきかどうかはわかんないすよ。
”オレは↑をどこかでこの世の果ての物語だと思っていて
自分の生活環境にはまったく心当たらないフィクションとして
捉えていたのかもしれない。
全然違った。当たり前だ。この世の果てなんか身の回りに溢れかえっている。”
――ドラマ『モテキ』の監督、大根仁氏のブログより。

前に『隣の家の少女』を読んだときも思ったけれど、テレビの奥で騒がれる事件と自分を関係性のあることとして繋ぐのは少し困難だ。少しばかりの共通項から防衛意識が上がる程度のことで、やっぱりそれは自分と関係のないところで起こっている出来事と捉えてしまう。

誰かの言葉に、
障害者を排斥する人は障害者の友達がいないのでしょう
同性愛を否定する人は同性愛者の友達がいないのでしょう。
というのがあって

人は結局の所自分の見えている範囲の事しか”リアリティ”として受け取れないのだろう。
地球の反対側で起こっている飢餓問題も戦争も、小説の中の出来事と受け取り方はそう大差ないのではないかと思う。それは多分、批難されるべき事なんだろうけれど、批難できる立場にある人というのは中々居ないのではないかとも、思う。
虐待も同性愛も障碍も、きっと身近でその人の視点に立つという機会がないから、普段から何も考えず、突然表れた日常の破壊者に危機感を感じる。私だって揚々と人の事を言えるような立場ではない。

君子危うきに近寄らず、という言葉と
義を見てせざるは勇無きなり、という言葉が混在している。

そこから何か動け、というのはきっと自分の世界の外を認識するよりもずっと難しい。
ただ、自分の分からない何かもある。自分のアタリマエが当たり前でない世界もある。
そういう事を心の隅で認めておく余裕くらいはあってほしいし、自分の世界から切り離すのはきっと

いつか使う優しさを腐らせているような。
見えてる筈の目を曇らせるような。

自分と繋がらないものなんてこの世には無いよ。

星空結界

The twinkle of the stars collapsed the milky way
プラネタリウムに行ってきました。
子供向けのものでしたが、とても良かったです。
真っ暗になって半円形の天井に星が散らばった瞬間、ぶわ、と空に落ちるような感覚になった。
吸い込まれるような、沈み込むような。

プラネタリウムに行ったのなんて、10年ぶりくらいかもしれない。
空が好きで、星を見るのもとても好き。
流星群の頃に一人、屋上に出て寝転んで流れ星を探していたりした。
言葉の要らないもの。
自分の流れとはまったく別に、時間が流れている存在に惹かれるのかもしれない。

アルビレオ。
天の川観測所。
あれが、デネブ・アルタイル・ベガ。
シリウス。一等星。
 天象儀というやつが、とても好きで。
思い出すのは瀬名秀明の『虹の天象儀』という小説。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』
それからBump of chikenの「プラネタリウムという曲。
supercellの『君の知らない物語』
 ふとした瞬間に、何年前かと同じような状況に陥って、その時の記憶がフラッシュのように光る事がある。大事な記憶でも何でもないのに、その状況やその物に宿った思い出みたいなものが突然浮かび上がる。そんなものに溢れていて、まるで思い出に埋もれて生きている、ような。
ような。

45分の投影時間は思いのほか短くて、解説のおじさんの問いかけにぽそぽそと答える子供たちの声だとか、連れのこっそり笑う声とか、星空を見るだけじゃなくそういう「空間の良さ」も味わえてとても好い時間だった。
あの天象儀、ほしかったな。
写真とってくればよかった。また行こう。

10/07/2010

world・word・rude



L.E.D. vs TOMOSUKE fw.crimm - COOKIE BOUQUETS

なんていうか好きすぎて、ほぼ三日に一回はみてるのでこっちに貼っておこう。
この疾走するカメラと空間を感じさせるカラフルな泡の動き。
そしてpop&cute


ザレゴトメイテル
こちらもとても好きなMAD。戯言系では一番すき。

色を意識して、デザインというか記号化されてるような映像が好きなのかも。

この間、時雨沢さんが「音楽を聞きながら、それをOPにしてキャラクタが動くのを頭の中で作ってた」とか言ってたけど、自分もよくやる。ゲーム雑誌や攻略本を読みながら、ゲームした気分になってたりとか。自分が漫画や本の世界にいったら…みたいな事を考えてみたりとか。
なんだろう、想像力ってそれだけで遊びになるよね。

いつか頭の中にあるものを作品として綺麗に出せたらなぁと思います。

10/06/2010

すかいぶるうブルース

おはりるおはりる
朝から虹をみたですのん
吐息は微かに白く
少しずつ空気が冷えてゆくのがわかりますの

今日の東もきりりと綺麗ですね
光がいけしゃあしゃあと雲間から覗いてました
いけしゃあしゃあって擬音じゃなかったのね
本当の事をいうと 知っていました。
ようやく上った三日月は天空で白くなって
消えてしまっていました

しゅわしゅわしゅわ

あしたみたいにきょうも善い一日でありますように

10/05/2010

おもいつき2


デスクトップにあった壁紙がないなら 壁紙をデスクトップにあわせちゃえばいいじゃない!
ということでさくさくっと作ってみました。

ボクが何を検索していたかバレて恥ずかしい><
時かけのあの黒板のセリフなんだっけ、と思い立って調べてました。

もっと丁寧にすりゃよかったの…。
まぁいいや。
今度暇なときにもっとシッカリしたの作ろう。
うるさくなくて毎日見てても飽きない壁紙ってなかなか無い。

なんか

おもいつき。

突然カスタードクリーム作り出してみたり、ご飯はレトルト食品ばっかりだったり。
すごくがんばった麻婆豆腐が作りたいので明日はやまやに行って調味料を買ってこようと思います!
山椒、山椒。

なんというか会話のリズムだったり フェティシズムだったり 女性の写真だったり 一瞬の映像だったり 笑いのツボなんてのはまさに代表格だけど、そういうものの「なんか好き!」が合う人と一緒にいたいなぁ と思うのです。


林檎が好き、花火が好き、ビートルズが好き、かわいいの・おいしいのとかのすきじゃなくて
なんかわかんないけどお前こーゆーの好きだろ、って言って あぁうんそうそう、って分かり合える感じ。
大切。
時々無性に欲しくなるもの、鉄鍋。
鍋っていうかフライパンっていうか中華のあの浅いような底がボール状になっているフライパンが欲しいと思います。
鉄鍋。すごく関係のない話で今とつぜん思い出したんですが私誕生日は1月20日だった気がします。
あっ全然関係のない話です。
電動ミキサーでも良いです
いえ、こっちの話です。


今更ですけど、いいものを作ろうとして出来たものよりも、惰性で作ったものの方が評価されるアレ、なんなんでしょうかね


「最初っから良いもの作ろうとしてんじゃねーよ」っていう神様の戒めでしょうか。
感覚を信じるって大事だと思います。
自分の作ったものを好きと言ってくれている人は、私の味が好きなわけで、「いいもの」を期待してるんじゃなくて私の味を期待してるんですよね。
確かに、レシピを見て作ったご飯より、その人が毎日食べてるような冷蔵庫のありあわせご飯の方が食べたい。そういうことでしょうか。
3時間くらいかけて描いた下書きを破り捨てて、寝起きの30分で描いた落書きの方で絵を仕上げてたりとか。
Twitterでも頭の中ダダモレの変なPostがふぁぼられてたりとか。
 俺もっと良いこといってるんだけどー
みたいな感覚は誰しもあるものかもしれません。


何が言いたいのかよくわからないですけど、私は私の心の半径7メートル以内にいる人達のことを愛しています。これからも見守っていきたいです。
あとブログのデザインを変えてみました。廻り巡って大体シンプルイズベストに落ち着くのは恒例です。

10/02/2010

金木犀の香りのする夢


人生を賭けた告白をしてまいりました。

と、言いつつ、恋愛とは全く関係のない話です。
やってもやらなくてもダメならやろうぜ、という話でした。

誰か私を褒めてー

これからどうなるか全く解らないので、というか完全に予想できないので
あとは野となれ山となれ、状態です。
あははははははは

ついでに言えば恋愛関係の悩みなんて、こんな誰が見てるかわからんネット上で吐き出したりしません。たとえ吐き出してても解らないように巧妙に吐き出します。
期待しないように。

なんか、最近おいおいおいおいおい、みたいな気分になることが多々あって
本読んで
うはーってなってます(全く何も解らない)
こういう文章を書くときは何も伝えようとしていないんです。

あ、この間友人がカーディガン着てポッケに手つっこんでるのみて、カーディガンもありだなと思いました。でも俄然パーカー派です。この時期に着ている服のセンスがいい人は、だいたいお洒落さんだと思います。ぼくもがんばりたい。

【9月に学んだ事いちらん】
・余裕を持って行動しませう
・当たり前の事が出来ない人が、当たり前の事ができるようになった時は褒めてやるべき。勿論自分が当たり前の事が出来ないんだ、と自覚のある場合である。
・うまれてきてよかった
・友達と一緒に外でのむビールはうまい。
・豆乳をのむと胸は大きくならない。やわらかくなる。

穂村弘さんブームがきています。すき。