10/23/2010

どれほどの速さで生きれば、君にまた会えるのか。



何かに縋っていなければ生きていくことが出来ないような、生き方がある。
例えばもう忘れられている約束を一人、ずっと守り続けているような。

「こんなところにくるはずもないのに」
「こんなところにあるはずもないのに」
「こんなところにいるはずもないのに」
の時にフラッシュバックのように映像が次々と切り替わるのが切ない。

日常で、ふとした時に突然過去に引き戻される瞬間がある。
生きていく中で、記憶の外部メモリはそこここにある。
散る桜の花弁であったり、霞む下弦の月であったり、雪の冷たさであったり、思い出と呼べるほどの立派な記憶でもないのに、現在触れている桜や月や冷たさが過去のものと時間を越えてリンクする。
そういうトラップのようなトリップに
戸惑いつつも、仄かな慈しみを見出していたりする。過去は思い出すたびに悲しくなる。
写真を撮る意味はきっと、そのトリップを意図的に安易にすることにあるのだろう。

大事な記憶ほど、思い出すために忘れようとするのかもしれない。

『秒速5センチメートル』はやっぱり桜花抄が一番好きですが、コスモナウトと秒速5センチメートルがあってこそ、あの最初の切なさは際立つと思います。
冬の夜に温かなコーヒーを入れて、暫くしてからふとコップに触れたとき、さっきまでの温もりが嘘のように陶器が冷えている事があって、中に残った少しばかりのコーヒーでさえすっかり冷えてしまっている。捨ててしまえば良いのに、勿体無くて残りを飲んだらやっぱり冷たくて、「あぁ」と思う。
なんか、そんな感じの映画です。

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