9/10/2010

倫理観について

ちょっと某所でなんぞや?という声を聞いたので。
学術的な意見は長くなるし、自分の言葉ではないので置いておきましょう。

感覚的、というか自分の「倫理観」についてです。




何故人を殺してはいけないのか?という疑問を持つことは決して倫理を外れた行為ではないと思う。
そもそも倫理、道徳というのは個人々々が持っているものであるというのが私の意見である。


おそらく世間一般でダメ、と言われている事は法律に基づいている事が多いでしょう。
ただ、法律とは秩序であって正義ではありません。法哲学とか自然法とかは置いておいてください。
愚行権」という言葉がある。
読んで字の如く、「愚かな行為をする権利」の事です。
援助交際や麻薬使用、誰にも迷惑かけてないじゃん。何で法律でダメとか言われるの?
自己決定、自己責任の原則からそういう「バカな行動」を取る権利が保障されても良いのではないか?という考え方から来ています。


法学の観点から言えば、そういった愚かな行為を法律によって制限しているのは「パターナリズム」に寄っている。ちなみに行き過ぎたパターナリズムを「マターナリズム」と言います。
ここからは学術的になるし、横道に逸れるので保留。そういう話がしたい人は、個人的に連絡を取ってください。まぁ自分も目下勉強中の分野ではありますが。


そういう言葉があるくらいだから、別に「ダメなものは絶対的にダメなんだよ!」とは考えません。

だから、私は個人がそれぞれに善悪を決め、それを信じる事に何ら間違いを感じない。

それが宗教の究極の意味でしょうし、倫理・道徳でしょう。信念に近いのかもしれません。
『罪と罰』の世界ですね。
「優れた選ばれし者は、より大局的な正義を為すためならば、既存の法や規範をも超越する資格を持つ」というラスコーリニコフの考えは、彼の道徳・倫理だったのでしょう。


そして、一般的な意味の、キリスト教や仏教といった宗教ということ、つまり信仰心というのは、自分の考えに近い政党に投票するようなもんだと、私は考えています。
だから無宗教というのは、浮動票や支持政党なし、という有権者みたいなものでしょう。


そうやって考えていくと、「俺は公明党が良いんだ!なんで政権をとっているのが民主党なんだオカシイ!」と騒いでも、彼一人のために公明党が政権を取る事はないでしょうし、民主党がポリシーを変えることはないでしょう。揚げ足は取らないで下さい。
これが全体という道徳・倫理です。いわゆる「常識」
そして、投票と政治のシステムが、そのまま「なぜ一般的な倫理道徳に従わなければならないのか」の答えに繋がります。

だから、もし全体にそぐわないような、自分の倫理道徳を貫きたいのなら、それこそ「眼と耳を閉じて、口をつぐんだ人間になる」か、孤島にでもいって1人で好きなようにすれば良いのでしょう。


ただですね
「人を殺しても良い」
と考えている人間が、恋人や自分が殺される事に対して批難する資格はないと考えています。
「人が悲しむことをするのは間違いだ」という信念は「自殺は許される」という信念と、原則両立しません。OK?
必ずどちらかの信念が折れます。それは倫理道徳を外れた行為でしょう。
どちらが、というのはその本人が決めることですが。

まぁ、そういう事です。

多分何のアドヴァイスにもなってないだろうし、正しい意見でもないだろうなーと思います。
どういう意味の正しさかはご想像にお任せします。

ただ、他人の意見というのはきっと、自分にないものだろうし、そういう所から答えが出ることもあるでしょう。何を信じて良いか解らない時は、ルーレットで決めた言葉を信じるのも一つの解決です。

年長者の押し付けない意見は9割方、正しい。
何の根拠もなく「諦めちゃだめだよ!」と言ってくる人間は信用しない方が良い。
人はそう簡単には変われない。

というのは最近、自分がしみじみしじみと感じたこと。ぜんっぜん話と関係ないけど
かたこったー
あと最近、ブログの空白改行が2行分になるーなんでー

1 件のコメント:

  1. まずブログを持ってるの知らなかった。持ってないと思い込んでて、チェックしとりませんでした。
    選挙の例えは、なるほどと思いました。
    母が「今の貴女は公害になるから、親の責任として放すわけにはいかない」と言ったのも分からなくない・・・かなぁ。分からないのは、『感情的に』かも。

    たぶん私の問題の本質は精神的なことに移行するような気がする・・・けど、ここで語るのはやめておきます。DM送ります。初☆DM!

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