12/30/2010

今年ももう終わり。

雪が積もって、花が降って、光が溢れて、色が満ちて、また雪が積もっていきます。
そうして1年が過ぎてゆきました。
香りや温度が移り変わるたびに増えていった記憶が、重みを持って存在感を色濃くしていく。

今年は本当に色々な事があった年でした。
内面的にも少し整理できたし、外面的にも進歩はあったように思います。
人との関わりってものを本当に嬉しく感じる一年でした。
やりたかったこと、自分一人じゃきっとやらなかったこと。
そういうものがあって、色んな人のお陰で沢山のことが出来た。
Twitterでも何だか会ったこともないのに、同じ大学の人達でやんややんや言ったりして
雪が降るとそれだけで皆同じこと言ってて、チャットとは違う面白さがあってすごく楽しい。

思いつきを垂れ流すって意味では自分に最適のツールなのでしょう。

なんでもないような一日が
とても輝いて思える時間があって
きっと間違えたり、躓いたりすることの方が多くて
多分その中で得たものが今の自分を創っているのだろうなと、感じている。

空の綺麗さだとか、空気の濁りだとか、緑の匂いだとか
そういうものを共有できる人がいて
ああ私は今とても幸せである。
偶然のような切欠で知り合った人達ばかりだけど
大体長い付き合いになっていて、運命というやつは真面白いものよのぅ、などと嘯いている。

今年もこうして1年が過ぎてゆきました。
これから春になる。
何もかもが上手くいくとは限らなくて
それでもどうにかなってほしいと願っている。

学生生活の締めくくりにはとても楽しい一年でした。
多分、学生らしい楽しさがあったと思います。

今年一年ありがとうございました。
今年の最後はこの曲で締めくくりたいと思います。
<マメシバ/坂本真綾>

12/28/2010

薄明前夜

瞼の奥に光る夢が
さよならのように積もっていく

口ずさむ歌の
思い出せないフレーズを
夜に溶かしたまま 歩き続ける

どうにかして流れゆく時間を
止めようとしていた頃もあって
曖昧な未来に安心していた僕もいた

今、遠く音楽が鳴り止まない

涙の奥に響く雪が
思い出のように積もっていく

12/24/2010

乱暴と待機



金沢シネモンドでやっていたので観て来ました。
一言で言えば

登場人物4人が総じてクズで良い


原作も読んでいたのですが、とても楽しめました。(ただ、結構忘れている部分はあった)
90分という時間が最適な映画で、本の内容を余す所なく映画にしている感じ。本谷有紀子さんは脚本家でもあるらしいので、その辺り物語の進め方とか構成がもともと映像向きなのかもしれません。

映画の内容は
何より
小池栄子の演技ヤバい
イラッとする感じ上手すぎる。もうこれは多分キャスティングの成功でしょう。

最初こそ登場人物の演技だとかに違和感を覚えるんですが、段々慣れてきてブラックかつシュールな笑いを誘う感じは原作そのままでした。
こう、「少し過激でなりふり構わない苛立ち、そして惰性で続く日常」がある
のがこの人の(乱暴と待機の)味なんですが、それが本当にうまく映画で出ていたと思います。
日常が狂ってるんだけど全員が「自分は正しいんだ」って思い込んでて、でも間違ってる事も気付いてるっていうのがこの物語にある雰囲気なんですが、映像化するとその狂いっぷりがイイ味出しまくってます。
自転車が部屋に突っ込んでくるシーンがあるんですが、それが当然のように話が進むんですよ。
あとは仲良くもない4人がキャッキャしながら人生ゲームしてるとことかイー具合に気持ち悪くて、あのシーンがこの映画の全てを表わしていたと思います。

また、音楽のズレた感じが、彼らが総じてクズでどこか間違った方向にズレている感じを出してます。主題歌の相対性理論の雰囲気がそのまま効果音?になってますね。
主題歌のチョイスも言うことなしです。

本だと結構、淡々とストーリィが進む感じだったんですが、映画にすると「覗き」「性格の悪さ」あたりが強調されてて、まさに『乱暴と待機』ってタイトルが納得いきます。

非常に良い映画でした。


…ここ最近は地雷踏んでないですねw

12/21/2010

声涙は積み重なって

何が正しかったのか
なんて問いかけはきっと、思い込みの一言で全部間違いだったって答えになってしまう。

ソラニンで
種田が人生の行方を決めてから、原付に乗って走りながら
幸せだ、これでいいんだと呟き、
鍵に付けられたキーホルダーに
「本当に?」
って聞かれて、薄く笑いながら自分を納得させるシーンがある。
本当に? って声を耳の奥で響かせて
右手を強く、手前に回す。
シーンがある。

夢って何だったんだろうか。実現可能性って何だろうか。
失恋しても、絵を完成させても、今日が一番楽しくても、生活は続く。
  あの頃のぼくにはもう、戻れないよ。
自分の人生で、思い返せば分岐点だった場所がいくつかある。
その瞬間に戻って、違う道を歩けばきっと違う未来があったろうと思う。
それでも、この道を選んで(しまって)それで得た、微かなものを失ってまでやり直したいとは思わない。多分最終的に間違った結果も、正しいと思っていたその途中過程は自分にとって大切なのだと思ってる。恋愛も進路も、生き方全て。
今持ってるものを失うのが怖いだけだけど。
  例えばゆるい幸せが、だらっと続いたとする。
今日も世累は積み重なってまとわり憑いている。

それでいいの、って耳の奥で響いてて
いいとか悪いとかじゃなくて
薄く笑って、いいんだよ、としか答えられなくて
  小走りで路地裏走って思い出してみる
クレヨンしんちゃんの大人帝国って映画で、悪役が、敵対するしんちゃん一家の足掻きを見て、ふと「最近全力で走ってないなぁ」って愛おしそうに、哀愁をこめて呟くシーンがある。
思い出してみるって、そういう事なのかな。

4年間で一番楽しかった、と断言できる4時間があって
そこには、何も無くて、時間と空気だけがあって
ただ喋って話して、歩いていただけで、ただそれだけで
きっとそういうものが毎日続いていた時期もあった。

なんて、今更どこで何を言おうとしているんだろう。


12/17/2010

眠れない時は深い海にゆっくりと沈んでいくようなイメージだ。
身体だけがすっと下に落ちていく
マリンスノウみたいに

意識だけを上に残して
そうやって肉体と魂を擬似的に分離させてみようとする

携帯電話を握り締めて毛布に包まって仮眠をとることが多くなった
2,3時間の断続的な睡眠を繰り返すから
きちんとした時間に寝ても4時くらいには目が覚めている。

どこかと繋がっていたいのだろうか
単純に寂しいだけなのかもしれない

もう嫌だ、と思ってもどうしようも無い事ばかりだ

誘導灯は月色に光る

ask for the moon 
という言葉がある。
月が欲しいと願う、転じて「不可能を望むこと/無いものねだり」の意となる。
日本語で一言で言えば「覬覦(キユ)」であろう。


人の欲求は果てしない。
しかして、どれほどの願いが月ほどの物が欲しいという願いなのだろう。
「些細な願い」とは一体何を基準に些細としているのか。
物事における疑問点は「誰にとって」という意識から考えれば理解し易い。
誰にとって些細なのか。
そう考えたとき、そこに修飾される言葉は”(現在の)自分”ではないことに気付く。
「他人にとって些細な願いが、どうして自分にはこんなに難しい願いになるのだ」
結局の所、全ての事象は差異によって、相対的に認識・評価せざるを得ない。
羨む・妬むというのは意外と理性的な感情なのかもしれない。
恵まれている事と幸せである事を、時々混同させている。

「自由が欲しい」と思ったとき自由を金に変えたとしても大体の願いは叶うだろう。

自由は金で買えるものなのかもしれない。
そして不自由というものが時間的制約による行動制限という意味ならば、時間は金で買えると言える。
ただの論理式だ。


目を隠したまま「家族って何だろうね」と傍らで呟いた。
家族・恋人・友達だとかというのは集合体名ではなく、状態の名称なのだ。
液体・固体のような。
だから、理想の○○というものを自分で描いてしまうと上手く行かなくなる。
「毎日会いたい」と思うのではなく「毎日会うのがカップルなのだ」と思い始めると大体その関係は瓦解していく。理想の押し付け合いがの関係の溝を深める。
少なくとも自分の理想は相手の理想ではないし、「普通は/一般的には」という言葉は自分にとって都合の良い言い訳でしかないのだ。しかしそれに気付くのは難しい事なのかもしれない。

本当は、両者の中でお互いに相手を友達・家族・恋人だと思っていれば、それでその関係は完結しているはずなのだ。言葉の定義を考えるのは学問の中だけで良い。

おそらく家族・恋人・友達という言葉がなければもっと上手くいっているのではないか、という関係は少なからずあるだろう。

「何であってほしいの」と答えて、寂しさの端を舐めた

そういった理想形が僕らにとっての月なのかもしれない。
自分一人では手に入らない。
そうやって地面に転がっているものを踏み壊して、幾億の星を見捨てているのではないか。
足元のスミレで満足できればきっと、それが幸せの価値だと思う、
思っていたい、
のだろう。

とちゅう

12/15/2010

12/11/2010

そのうち

そのうち色塗る。

シャッターアイランド

シャッターアイランドを観ました。

以下、批評&感想。
ガチのネタバレは反転で読めるようにしてありますが、本気でこの作品を楽しみたい!って人は読まないほうがいいかも。
ユージュアルサスペクツ系なので、前知識があるとちょっとスリルが減るかもって意味です。
ま、あんまり読みたくない人はハイライトだけ読んでりゃいーよ★

ザックリと感想を言っておけば面白かったです。ただちょっと観るの疲れるかなー…。




12/08/2010

ソラニン



観た。
良かった。

ギター初めて描いた、難しいです!

晴れ渡る、君と

神戸に行ってきました。ルミナリエ見てきました。
久しぶりに遠出した。枕が変わると上手く眠れないくらいにawayが嫌いな子なので、今回も「行こうよ!」という有り難いお誘いにホイホイついていく感じでした。あはは
外出が嫌いな訳じゃないんですが、自分の知らない場所・人というものに物凄く抵抗があるので、これから住むとか仲良くなるって前提がないとガチガチです。あまり踏み出しません。

日帰りだったので半日観光だったわけですが、観光名所はだいたい回って、適度に旨いもん食べて、ぐだぐだしつつとても楽しかったです。
フレキシブル&ポジティブな旅でした。
大体適当に決めて前向きに考えるって非常に楽。気の置けない仲の典型例というか理想型なのかもしれません。

一つ一つを丁寧に解説してもアレなので、あんまり神戸レポートはしませんが。
ルミナリエ綺麗でしたよ。

12/04/2010

4こま×2


久々に漫画かいた。

院に受かりました。
色々問題は山積みだったりしますが、応援と心配してくれた皆様、ありがとうございました。

11/30/2010

多分、過分なのよ!

多分そのうちブログ移行すると思います。

改行レイアウトが気に入らない!

夜が近付いても歩き続けていた

落ち葉の色が赤から黄色になって、吐く息の白さに驚かなくなった。

空には星が輝いている。夏よりも多く見える気がする。知っている星も夏より多い。

時が流れるのは早い。
そしてそれよりも、自分の知らないところで流れている時間の方がずっとずっと速い。
久々に友人や後輩と話すと、自分の知らないところで沢山の事が起こっていたり、多くのものがなくなっていたり始まっていたりする。自分から距離をとればとるほど、その速度は上がる。
おそらく、自分の時間軸とは別に捉えている所為だろう。
全く知らない人の人生は一瞬に思える。
もしかしたら、地球を外から見たとき、46億年なんていうのは一瞬なのかもしれない。


そういえば小さい頃、漫画や作品にのめりこんで自分がそこに居る空想をすることがあった。
登場人物達は物語の外で私と一緒に遊んでいたし、世界の端に作者もしらない私が作った場所があった。
大人になって、作品はただの作品なのだと、登場人物はデータなのだと気付いてしまった。今では、私はいつも現実に居座って彼らを眺めている。
あの頃の自分にとって物語は作品ではなく「違う世界」だったのだろう


この間、教授と勉強というものについて少し話した。
「私も先週61歳になりましたけど、やっと刑法がちょっと分かってきたかな、と思いました」
と先生は言った。自分の専門でさえ、教授が61になって「ちょっと分かった」というほどなのだ。
学問は奥が深い。


講義で”○○学”というものを教えるのは難しいらしい。
研究者は○○学の更にその先を細分化させた一分野について研究しているものだから、その学問について幅広く講義しろ、と言われても中々その面白さを伝えるのは難しいのだそうだ。
「面白く、分かり易く、それでいて深く、という講義を目指しているんですけどね」
と先生は困ったように笑っていた。


たまに触れる専門外の知識がとても面白く感じることがある。
いつの間にか自分の専門についての勉強は嫌々になっている事がある。
結局それは、新鮮味の違いなのだろう。
自分の専門だって、疑問が増えて調べだすと数時間あっという間だったりする。きっと表層知識では新鮮味が感じられないくらいには知識量は増えてしまったのだ。しかしその奥に進むだけの興味は、知識量の増幅でしか得られないという矛盾が、勉強の面白さが分かりにくい原因だろう。


図書館を出て歩き出すと、冷えた空気にすっと脳がクリアになる。
ポケットに手を入れて一人、暗くなった大学を歩く。どこか遠くで管楽器の音がする。
あとどれくらいこの場所に立っていられるのだろう。

11/23/2010

Owl City - Fireflies



今日の一曲目だし
明日の一曲目にもしたい。

ささくれた心に染み込む歌と映像。

11/18/2010

11/15/2010

しをりる/しをりら

Skype等のアイコン使用中の絵。

本当は栞に出来るようなものを作りたかったのです。

割と気に入っている絵ではあります

背景はフリー素材なので若干適当。

11/12/2010

雑記

暗澹たる雲の上には三日月の宿る夜空が広がっていました。

ぎゅいぎゅいーってな感じでベジェ曲線ではじめて線画描いてみましたの。
やっぱり手書きよりもずっと綺麗ですね(当たり前か

妹と久々に電話で話して意気投合してました。
色々と異常だよね、うちは。って喋ってました。姉妹っていうのも悪くないですね。
普通は、ってのが常套句なんですけど一番オカシイのは自分だったりするイイ例。
姉として出来ることがあればしてやりたいです、
とか思えるくらいには、自分も余裕が出来てるって信じたいの。

将来の事とか言われても本当はあんまり上手くいってないし
刹那的に生きてきたから実は来年も再来年も自分が居るイメージが湧きません。
というかそもそも問題を解決しないことにはゴールは見えないわけでzzz

うん、だからこそかな。
1ヶ月後の予定とか決めるのが苦手ですの。あふあふ×××ってなります。
来月の何日、3ヶ月後のこの日こうしよう?って言われてもそれまで私生きてるのかな?って
2週間後の予定が限界です。それ以上は現実味がないです。
自殺とか、そういう意味じゃぁないんだけど。難しいですね。
  難しくしているのは自分だよ(とか犀川先生は仰るのです

気付くのに時間の掛かる事が沢山ある。
そういうのは大抵、問題の難しさより、自分の内面の余裕によって左右されている。



ってこれは過去の自分の言葉の引用ですけど。(9/9青春の欠落)
ののの。そゆことです。(どゆこと?

そんでもって面倒に思えてきたコミュニティとか。
それって結局個人×nが面倒になったって事じゃなくって?とかとか
否定はしないけど。
嫌いとか悪いとか憎いとか、そういうのをあまり口にしなければ穏やかな人間関係は築けます。
温厚さって、そうやって構築されているものではありませんこと?
ラジカルな意見が敵を作るのはドコも一緒ですね。


紅葉が終わっていきます。
冬がくるのですね。来週から暖房が入ります。
ぽかぽか、したいの。

11/09/2010

Now Reading……

【最近買ったもの】
喜嶋先生の静かな世界/森博嗣
目薬αで殺菌します/森博嗣
理由/宮部みゆき
人質カノン/宮部みゆき
しをんのしおり/三浦しおん
推定無罪(上・下)/スコット・トュロー
子どもたちは夜と遊ぶ(上・下)/辻村深月
宮沢賢治詩集

本ばかり増えていく。
自室が図書館化していく。うむうむ。
本好きとしては「何か本あるかなぁって…来てみたー」なんて言われたら、うきうきしながら3冊くらい貸してしまうでないの。
そして紅茶を飲みながら長々と本の話が出来るのは至上の幸福である……。

11/08/2010

曇り空、雨模様


曇っているのはこころですか。
泣いているのはお空ですか。

11/06/2010

イきるものの叫び

夜。
11時くらいに街のスクランブル交差点の端で、パフォーマンスを見た。

ユキンコ アキラ

この人の、リズムパフォーマンスというやつ。
肩からポータブルDJボックスをぶら下げて、流れるリズムに乗って踊ったり走ったりしながら、キャンパスに絵を描いていく。
Go my way!!!
叫びながらスプレーやらを使って描いてく。

呑み会帰りの若いお兄さん達が盛り上げてて
Go my way!!!
って踊りながらのソウルフルシャウト。
お兄さん達もシャウト。

凄く良かった。
上手く言えないのがもどかしい。

芸術は人の心に響く。
お気持ちBOX、と描かれた缶の中に200円落として
「ありがとう」って言われて、手を握った。

細くて、男の子にはもうない、年を重ねた皺。
温かくて、壊れ物を扱うように握手して

ああ、人間が作ってるんだ

と感じた。
好きな人と手を繋ぐときでもない。女の子の手を握るときでもない。
触れ合う感覚。
こんな事でしか人間味を感じられないというのは、少し情けなくて虚しくて愚かな話だけれど、こうやってスプレーに汚れた温かい手を握って、そうやってやっと、魂の叫びみたいなのに触れられるのかもしれない。触れていると気付くのかもしれない。
空気を震わす音も、濃い匂いを放つ油絵も。
何よりも僕らは温度によって人間を知る。生きている事を知る。

心震えた、23時。

11/05/2010

野狐禅

後先を考えずに永遠を誓えるだけの愚かさが欲しかった。

吐き出す言葉の重さを知っている人は、とても言葉に気を使う。
それは時に残酷な予防線を張っていたりする。ただ、そういう自分に対する優しさは必須だ。

絶対だとか永遠だとか、そんな言葉は使えなくなった。一方で、どうでも良い嘘を簡単につくようになったのは、何かに対する緩衝材なのかもしれない。適当さだとか、斜に構えてみたりだとかっていうのは自分自身、みたいなものを直視しない方が良いことを知っているからだろう。
全力で生きていると、落ちるときも衝突するときも きっとそのスピードだからね。
80%くらいを気取っておいた方が、それくらいが全力の振りをしておいた方が後々楽だって事を段々知っていくんだろう。頑張れ、みたいな暴力に対しての切り札かもしれない。

思いやりと頭の回転の速さっていうのは人間社会の中にいる中で最上の防御になる。
思いついてから、それを言うべきか言わざるべきか、をきちんと判断して行動できるという賢さ。
素直に尊敬した瞬間だった。

後先を考えずに永遠を誓えるだけの愚かさは欲しかっただろうか。

単純だったものはいずれ知識と共に複雑さと難解さを孕んでいく。
全ての事象は樹木のようになっていて、幾千幾億の枝先と根が広がっているのだ。
成長すればするほど広がってそしてやがて端から朽ちていくのだろう。
「やっぱり家が一番」みたいな顔して、死ぬ間際に幼かった頃のシンプルな思いを口にしたりするのかもしれない。失ってみて初めて気付く大切なもの、なんてのは遣り尽くされたテーマだけども、やっぱり始めから持っているものの価値を知るためには、そう簡単にはいかないのだろう。最初から持っていないものの価値だって、そう簡単にはいかない。

pricelessというのは日本語の慣用句、「値無き宝」と訳される。
tintinnabulationが、もゆらと一言で表わされるように
この世にある言葉はあるべくして生まれているんだろう。必要とされて生まれる感覚なのだろう。誰しもが得る感覚なのかもしれない。欲しがる言葉なのかもしれない。

Noting so sure as death
死ぬるばかりは真

「否定も徹底すれば肯定になる」
と言ったのは血盟団事件の主犯、井上日召ですが
嘘を真に塗り替えることすら可能なこの世で、死ぬことだけは唯一絶対の真なのだというのは昔から言われている様です。

嘘と難解さと煩雑さに絡まりながら
そうやって段々ゆっくりと、真に近付いていく。

11/04/2010

急いでアリス

夢の中で 光の出口
遠くにいる優しそうな、少し太ったおじさんと、痩せたおじさん
本棚の隙間を抜けて
蛇にだって兎にだって騙されないようにしながら
靴音ならしながら
逃げる
迷う
早く急いで
本棚の隙間を抜けて
夢から醒めた 夢
本棚の隙間を抜けて


走り抜ける アリス







Winter Girl

10/31/2010

グッバイ・イエロー



すごいみんながんばってる。
あたしはとっても高いところからそれを見ていた。

大人はみんなあたしに勝手な期待という名の妄想を押し付けてきて、あたしはあんまり頭に来たから数学のマークシート、全部一個ずつずらしてやった。数ⅡB、きっとセンセイは吃驚するだろうな、次の模試が返ってきたら。××、ちょっと来い、とか鼻の穴をふがふがさせて言うに違いない。私達の担任の数学教師はいつもふがふがさせながら怒る。××、ちょっと来なさい、ふがふが。うひひ。

嫌になっちゃったのは2ヶ月前。
歩いていたときにふっと鍵尻尾の白猫が前を通った時だった。
それまで何も見ていなかったあたしの硝子の目玉は途端に色を認識しだして、世界が物凄く鮮やかに見えるようになった。鍵尻尾の白猫は全然可愛くなくて、だけどその傍にたんぽぽはゆっくり揺らいでいたし何だかよく分からない草も青々茂っていたし、白猫の背中にくっついたままの小さな赤っぽい虫は世界の行方なんて全く考えてないみたいだった。
それでそれまでのそんな世界の美しさみたいなのに全然気付かなかった自分が情けなくなって、あたしはもう世界に合わせて歩くのをやめた。
休日はずっと青空を見ていたし、
帰り道には学校から最寄り駅までどうにかして1000歩で歩いてみることにした。
青猫を見つけたら追いかけることにして、
数学のマークシートはずらした。
世界はこんなにも美しい。らいふいず、びゅーてふる。
あたしは一人で沢山笑った。

家族は嫌いだよ。
皆死体みたいな臭いがするもの。

ここからこうやって眺めていると
みんな物凄く頑張っているのが見える。足早に過ぎ去っていくサラリーマン、参考書を抱えてる女子高生、居酒屋の服を着て走ってるおとこのひと…皆すごく頑張っている。
ここに居るみんなが、ぜんぶあたしよりもずっと頑張ってるの。凄い。
あたしがこうやって85分間ずっと夕焼けを見ている間にも、みんな知識を詰め込んだり吐き出したりして次の予定を考えてる。ねぇ知ってた?太陽って沈むのも昇るのもすごく早いの。朱色は金色と混じって暗くて灰色になっていく空をとても美しく染めるんだよ。
誰も知らないと良いな、と少し思った。あたしだけが気付いていたらきっとすごく価値がある。そんな気がする。
みんなあたしよりずっと頑張って生きてるの、凄いね。
うひひ、と笑って見せた。びゅうびゅう吹く風がいやらしく制服のスカートを捲り上げる。
凄い。
夕日も凄い
綺麗。

あははっ

人生を最高に楽しそうに終えながら
彼女は
48階の
ビルから
踊るようにして
舞い散る木枯らしのように
ひゅーーーーーーーーーーーーーーーーーんと
くるくるくるくる と

飛び降りて
ぐちゃぐちゃになったけど

やっぱり今も楽しそう。

あははっ

10/29/2010

寒椿

涙が止まらない儘に

多分ずっと走り続けてきた

物凄い速さで進んでいく、変わっていく。
自分の周りは驚くほど早く変化に適応している
テキオー灯
欲しかったな。

したかった事はいくつかあったけど
それらはやがて思い出になっていって
今、もう

毎晩のように夢の中で
恐れていたことばかりが起こって
はっとして目が覚める。
気付かない内に磨耗していく神経

分からない事ばかりで
迷ってばかりで
申し訳なくて

涙は止まらない儘に

あんまり良い子じゃないね。

囲う苦痛/過去 鬱屈


もしかしたら私は五千年生きていたのかもしれない、と思った。

少しずつ抜けていく記憶、混ざりつつある思い出に怖くなった事もあった。
8年前の事だったからしら、9年前の事だったかしら。
私には弟なんていないのに、この記憶は、現実ではないの。あの日読んだ物語の中の話。
段々過去は混ざって、現実と虚構の差は曖昧になってくる。あの時降っていたのは雪だったかしら、桜だったかしら。
ぎいぎいと脳の奥が軋みだす。分からなくなる、気付いてはいけない何かをわざと見落としているみたいだ。そしてふと思った、私は本当はもう五千年くらい生きてるんじゃないのかしらって。

生まれたときのことを覚えている
なんていうのは、後から見つけたアルバムの中の写真で確認したことだから
もしかしたら私、八千年くらい前に作られた木彫りの人形に魂が宿っただけかもしれなくて
中も見たことないから、本当にあんな、あんな赤黒くててらてらした臓器や絡みつくような血管が走ってるのかも分からなくて。ぱっくり開いてみたら案外中身は木屑だったりしないかしら。
考えてるのも私のやってる事かしら。
うふふ
誰か私の考えてる事、作ってるのではないの。

五千年も生きてたら、きっと
三千年くらい前の事なんて、七百年前の事と区別つかないかもね。
昨日ついたと思っていた傷は、五十年前のものだったりして。
もうね、きっと四千九百八十年間の事は、殆ど忘れちゃっているのよ。
ごめんなさいね、初恋のひと。

あぁ早く死にたいなぁって
何回思ったのかしら、私。

もうずっとこのまま、時が止まればいいのにって
何回願ったのかしら、私。

愛してるって何回言われて、好きだって何回言って
ごめんなさいって何回
赦してもらえたのかしら。

夜の奥から吹き荒ぶ冷気は、この古い建物の汚れた窓ガラスをみしみしと揺らし、一人怯えている私へと密か寄り添ってくるのでした。星も見えれば何か変わったかもしれませんが、生憎月すら見えず、こんな夜ではよだかも星になれまい、と空想の悲しみに思いを馳せているのです。痛くなる胸、いえ心のようなものを必死で守りながら、右手の人差し指で右足にゆっくりとSの字を書いてみました。それから少しずらして、横にOの字を書くと、それだけで右足はいっぱいになってしまい、最後の一文字は諦めるほかありませんでした。ゆっくりと朝に近付いていく夜は、恐ろしく、荒めに呼吸をして生きている事を確かめる他、生き延びる術は無かったように思います。

残念ながらもう忘れてしまった四千九百八十年間の中で
やってなかった事はなんだったかしらって
最先端の機械を触りながら少し楽しくなるの。

そうやって笑う私は
二人いるみたいで、それはまるで、
ゆっくりと狂っていく
古時計のようでした。

10/27/2010

もゆらティンティナビュレーション

囈 語


憤懣はいま疾にかはり
わたくしはたよりなく騰って
河谷のそらに横はる
しかも
水素よりも軽いので
ひかってはてなく青く
雨に生れることのできないのは
何といふいらだゝしさだ



詩の朗読会とかしたい、とふと思った。

囈語(げいご)、というのはうわ言、寝言、という意味です。
初見の漢字や熟語でも、見た瞬間にぱっと読めるようになってきました。意味もだいたい分かります。勿論、文脈もありますし、どこかで見たのを忘れていて知識だけが無意識に沈んでいるだけかもしれませんが、言語の真髄を見たような気がしました。
英語も、もしかしたらこんな感じなのかもしれません。

さて、言語、賢治といえばエスペラント語ですが、
この間、少し調べていたら本当に美しい言語なのだなと思いました。
______________
Ami は「愛する」という意味です。接頭辞や接尾辞をいくつか覚えれば、簡単に新しい単語をつくることができます。
Amo(名詞は -oで終わる。)
Amego情熱-eg は「大・強」の意。)
Amas愛している-as は「現」の意、すなわち現在形。)
Ekamas恋に落ちるek- は「始」の意、または瞬間の動作。)
Ametas少し愛している、好き-et は「小・弱」の意。)
Amegasとても愛している、熱愛する-eg は「大・強」の意。)
Malamas憎むmal- は「反」の意。)
Malametas嫌いmal- は「反」、 -et は「小・弱」の意。)
Mi amas vin.私はあなたを愛している。


1つの意味を持った言葉がツリー式に変化して言葉を作っていく。
エスペラント語を学ぶと他言語を学び易くなる、というのはこれが言葉が作られていく根本だからでしょうか。特に「愛しているの始まり」で「恋に落ちる」という言葉の作られ方に感動しました。
言葉フリークなのかもしれません(今更)

最近、暇な時は短歌を考えるようになりました。
バスの中で指折り空想している人がいたら私です。

タイトルの言葉は朝一で思いついて、自分で感動しました。
まほらミスティフィケーション、に合わせて「ひらがな+英語カタカナ」を考えていたら思いついた言葉ですが、ここ3ヶ月で一番の閃きだったと思います。(少しうきうき)

未来は真っ黒ですけど、2分先だけが少し明るくて楽しいので短めに生きていきたいです。

10/25/2010

まほらミスティフィケーション

囈 語

竊盜金魚
強盜喇叭
恐喝胡弓
賭博ねこ
詐欺更紗
涜職天鵞絨(びらうど)
姦淫林檎
傷害雲雀(ひばり)
殺人ちゆりつぷ
墮胎陰影
騷擾ゆき
放火まるめろ
誘拐かすてえら。

『聖三稜玻璃』山村暮鳥/青空文庫より

10年間使ってきた腕時計がそろそろ寿命なのか本格的に狂いだしている。
去年から寒さには劇的に弱くなっていて、冬の夜間は止まる事が多かった。
今、すでに昼間でさえ、動かなくなってきている。
2秒毎に2メモリ分動いて、なんとか正確な時を刻もうとする献身さに涙が出そうになった。ありがとう、もう頑張らなくても良いよ。朝からずっと8時19分を指す腕時計をしている。最早微かに揺れるだけの秒針を見ながら、自分の時間でさえも止まったように思う。

捨てるという行為が苦手だった。
最後に行った東京デズニーランドのパンフレットや、海外で買ったペットボトルや、誕生日プレゼントの包装紙、年賀状、ちぎれたネックレス、捨てられずにどんどん溜まる。
利用価値があるかどうかではない。ただ、そこにある思い出だとか人の気持ちみたいなものが、消してしまってはいけない気がして捨てられないのだ。映画の半券はもう、印字は消えてただの白い紙になっている。増えるばかりで引き出しはもうぐちゃぐちゃだし、押入れもごちゃごちゃになる。だから、半年に一度くらい、思い切ってそういうものを捨てるようにはしてきた。そうやって捨てるたびに、自分の所有物は2/3くらいになった。
年を重ねていくと、要らないものに気付くようになる。手に入れないという選択肢も考えるようになる。昔よりは遥かに捨てることに抵抗がなくなってきた。
今、どれほどの物を持っているだろう。

動かない腕時計には自分の体温が伝わって、仄かな温もりを持っている。
こういう瞬間、今まで全く気にしたことなんてなかったのに「大きな古時計」を思い出して、嗚呼あの歌を作ったひともこんな気持ちだったのだろうか、と思う。
動かない時計を見つめて時間を忘れたりしたのだろうか。
自分の時間が止まりそうな感覚を味わったのだろうか。

時々、悲しむために理由があるのか、事象があって悲しんでいるのか分からなくなる。
好きだから恋人なのか、恋人だから好きなのか
楽しいから盛り上がっているのか、盛り上がっているから楽しいのか
感情が先にあるのか言葉が先にあるのか分からなくなる。不安になる。
前も似た様なことを言っていた気がします。

独りじゃないから寂しくないことも無いし
楽しいから切ないと思わないことも無い。
きっと、寂しさだとか切なさが消えている瞬間っていうのは結局の所、「そうでない」という否定でしかないという事なんでしょう。

という感じの事を友人が言いたがって混乱していたような気がします。
違うかも。でもこれは私の言葉。

暫く降り続く雨はどこの地を固めようとしているのでしょう。

10/23/2010

どれほどの速さで生きれば、君にまた会えるのか。



何かに縋っていなければ生きていくことが出来ないような、生き方がある。
例えばもう忘れられている約束を一人、ずっと守り続けているような。

「こんなところにくるはずもないのに」
「こんなところにあるはずもないのに」
「こんなところにいるはずもないのに」
の時にフラッシュバックのように映像が次々と切り替わるのが切ない。

日常で、ふとした時に突然過去に引き戻される瞬間がある。
生きていく中で、記憶の外部メモリはそこここにある。
散る桜の花弁であったり、霞む下弦の月であったり、雪の冷たさであったり、思い出と呼べるほどの立派な記憶でもないのに、現在触れている桜や月や冷たさが過去のものと時間を越えてリンクする。
そういうトラップのようなトリップに
戸惑いつつも、仄かな慈しみを見出していたりする。過去は思い出すたびに悲しくなる。
写真を撮る意味はきっと、そのトリップを意図的に安易にすることにあるのだろう。

大事な記憶ほど、思い出すために忘れようとするのかもしれない。

『秒速5センチメートル』はやっぱり桜花抄が一番好きですが、コスモナウトと秒速5センチメートルがあってこそ、あの最初の切なさは際立つと思います。
冬の夜に温かなコーヒーを入れて、暫くしてからふとコップに触れたとき、さっきまでの温もりが嘘のように陶器が冷えている事があって、中に残った少しばかりのコーヒーでさえすっかり冷えてしまっている。捨ててしまえば良いのに、勿体無くて残りを飲んだらやっぱり冷たくて、「あぁ」と思う。
なんか、そんな感じの映画です。

10/21/2010

虹星


この季節の夜8時くらい、風の強い日に、地上近くで光る時だけ様々な色に揺れる星があるそうだ。
カペラ。
風に光が蝋燭のように揺れて、と様々な色を見せるので虹星と呼ばれる。

友人の報が続く。
とても嬉しい。おめでとう良かったね、としか言は紡ぎ出せないものの、思っていることはきっとそれ以上だ。それを確定的にせと呼ぶのはどうかとも思うけども、私は、自分の周りの人がせであればもう望むことはないよ。

休みをください、に言うつもりだろう。


が近付いてている。

10/19/2010

さよならまでの距離

難しいよね。
としか言えませんが。

無意識に大切なものを減らそうとしているって気付いてる時点で無意識じゃない。

ほんとは、ほんとはしたいことなんて一つもない。

なんて。

10/18/2010

散歩日記

ダムのみずをながしかわのみずがふえることがあるからきをつけよ

ダムのみずをながしかわのみずがふえることがあるからきをつけよ

面白い。
コアなファンにしか受けない、芸術色の強すぎるインディーズバンドの歌みたいな感じ。
多分、この面白さが分かる人は少ない。



う、うわぁ古墳だ!
と思って近付いたら



これ、トイレなんだよ。
トイレ、公衆トイレなんだよ。(強調)

古墳みたいなの。
でもトイレなの。
墓守人がいたと思ったら、トイレの利用者でした。凄いよね。凄いよね。
古墳みたいなトイレ。

これ見つけたとき、夜1時くらいでさ。
友達と大爆笑しちゃったよ。
正確にいうと、笑っていたのは私だけで、友達はトイレに爆笑してる私を笑っていたんだとおもう。

でも外からみたらトイレに爆笑してる2人だと思うからいいや。
プラネタリウムを観に行ったのに休館日だった。

仕方なく近くのベンチで読書。

チェックのスカートと本って似合う気がした。

目の前の川原では芝生の上を色んな家族が転げ回ってて幸せそうでした。
神様になった気分。
帰り際。
いいよね。

いいよね、ああいう雰囲気。

恋人同士かな。

恋人同士じゃない方がロマンチックだよね。




最近はずっとこうやって沢山のものを見直している。
歩くときも音楽プレーヤを聞かずに街の音を聞いてみたり。
ベンチにすわってぼーっと1時間くらい子供を見ていたり。
家族で遊びに来ているとね、大体皆立派なカメラを持ってるんだな。一眼レフっていうの、ごついやつ。それで、小さい子が走り回っているのを大人が嬉しそうにシャッター切ってるの。私も小さい頃の写真って沢山あって、小学校低学年くらいまでのアルバムって15冊くらいになっていたと思う。こうやって、沢山集まっていったんだろうなぁと考えるとじんわりするね。

本当、老若男女たくさんの人が歩いてる。
最近、お外で友達と喋ったり、だらだら一人で歩いたりする事が多くなって、それはもう前よりもずっとずっと沢山の事に気付く。知識は本の中にあるけど、哲学はお外にありますね。
なんだか余生を送ってるみたい。
ふふ。思い残すことがなくなってきたなぁ。

10/17/2010

例えば。

こういうことしたいよなぁ。

って思ったけど
もうコントローラはワイヤレスだし
今時ネットでどうにでもなるから攻略本なんてあまり買わないんだろうし

憧れている間に世間はどんどん進んでいってしまいました。

小さい頃、できなかったことをするために大人になっている気がします。
いつになったら出来るんでしょう。

10/16/2010

夢見

が、あまりにも悪くて少し気分がDown

ここのところ、目も肩も腰も痛いの。

会いたいなぁって思ったときに限って
誰もいない、不思議。

夢だったよな、現実じゃないよなって確認。
あーあ。

10/12/2010

ノンフィクションというリアリティ

そこがこの世の果てだとしてもそれが悲観に値すべきかどうかはわかんないすよ。
”オレは↑をどこかでこの世の果ての物語だと思っていて
自分の生活環境にはまったく心当たらないフィクションとして
捉えていたのかもしれない。
全然違った。当たり前だ。この世の果てなんか身の回りに溢れかえっている。”
――ドラマ『モテキ』の監督、大根仁氏のブログより。

前に『隣の家の少女』を読んだときも思ったけれど、テレビの奥で騒がれる事件と自分を関係性のあることとして繋ぐのは少し困難だ。少しばかりの共通項から防衛意識が上がる程度のことで、やっぱりそれは自分と関係のないところで起こっている出来事と捉えてしまう。

誰かの言葉に、
障害者を排斥する人は障害者の友達がいないのでしょう
同性愛を否定する人は同性愛者の友達がいないのでしょう。
というのがあって

人は結局の所自分の見えている範囲の事しか”リアリティ”として受け取れないのだろう。
地球の反対側で起こっている飢餓問題も戦争も、小説の中の出来事と受け取り方はそう大差ないのではないかと思う。それは多分、批難されるべき事なんだろうけれど、批難できる立場にある人というのは中々居ないのではないかとも、思う。
虐待も同性愛も障碍も、きっと身近でその人の視点に立つという機会がないから、普段から何も考えず、突然表れた日常の破壊者に危機感を感じる。私だって揚々と人の事を言えるような立場ではない。

君子危うきに近寄らず、という言葉と
義を見てせざるは勇無きなり、という言葉が混在している。

そこから何か動け、というのはきっと自分の世界の外を認識するよりもずっと難しい。
ただ、自分の分からない何かもある。自分のアタリマエが当たり前でない世界もある。
そういう事を心の隅で認めておく余裕くらいはあってほしいし、自分の世界から切り離すのはきっと

いつか使う優しさを腐らせているような。
見えてる筈の目を曇らせるような。

自分と繋がらないものなんてこの世には無いよ。

星空結界

The twinkle of the stars collapsed the milky way
プラネタリウムに行ってきました。
子供向けのものでしたが、とても良かったです。
真っ暗になって半円形の天井に星が散らばった瞬間、ぶわ、と空に落ちるような感覚になった。
吸い込まれるような、沈み込むような。

プラネタリウムに行ったのなんて、10年ぶりくらいかもしれない。
空が好きで、星を見るのもとても好き。
流星群の頃に一人、屋上に出て寝転んで流れ星を探していたりした。
言葉の要らないもの。
自分の流れとはまったく別に、時間が流れている存在に惹かれるのかもしれない。

アルビレオ。
天の川観測所。
あれが、デネブ・アルタイル・ベガ。
シリウス。一等星。
 天象儀というやつが、とても好きで。
思い出すのは瀬名秀明の『虹の天象儀』という小説。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』
それからBump of chikenの「プラネタリウムという曲。
supercellの『君の知らない物語』
 ふとした瞬間に、何年前かと同じような状況に陥って、その時の記憶がフラッシュのように光る事がある。大事な記憶でも何でもないのに、その状況やその物に宿った思い出みたいなものが突然浮かび上がる。そんなものに溢れていて、まるで思い出に埋もれて生きている、ような。
ような。

45分の投影時間は思いのほか短くて、解説のおじさんの問いかけにぽそぽそと答える子供たちの声だとか、連れのこっそり笑う声とか、星空を見るだけじゃなくそういう「空間の良さ」も味わえてとても好い時間だった。
あの天象儀、ほしかったな。
写真とってくればよかった。また行こう。

10/07/2010

world・word・rude



L.E.D. vs TOMOSUKE fw.crimm - COOKIE BOUQUETS

なんていうか好きすぎて、ほぼ三日に一回はみてるのでこっちに貼っておこう。
この疾走するカメラと空間を感じさせるカラフルな泡の動き。
そしてpop&cute


ザレゴトメイテル
こちらもとても好きなMAD。戯言系では一番すき。

色を意識して、デザインというか記号化されてるような映像が好きなのかも。

この間、時雨沢さんが「音楽を聞きながら、それをOPにしてキャラクタが動くのを頭の中で作ってた」とか言ってたけど、自分もよくやる。ゲーム雑誌や攻略本を読みながら、ゲームした気分になってたりとか。自分が漫画や本の世界にいったら…みたいな事を考えてみたりとか。
なんだろう、想像力ってそれだけで遊びになるよね。

いつか頭の中にあるものを作品として綺麗に出せたらなぁと思います。

10/06/2010

すかいぶるうブルース

おはりるおはりる
朝から虹をみたですのん
吐息は微かに白く
少しずつ空気が冷えてゆくのがわかりますの

今日の東もきりりと綺麗ですね
光がいけしゃあしゃあと雲間から覗いてました
いけしゃあしゃあって擬音じゃなかったのね
本当の事をいうと 知っていました。
ようやく上った三日月は天空で白くなって
消えてしまっていました

しゅわしゅわしゅわ

あしたみたいにきょうも善い一日でありますように

10/05/2010

おもいつき2


デスクトップにあった壁紙がないなら 壁紙をデスクトップにあわせちゃえばいいじゃない!
ということでさくさくっと作ってみました。

ボクが何を検索していたかバレて恥ずかしい><
時かけのあの黒板のセリフなんだっけ、と思い立って調べてました。

もっと丁寧にすりゃよかったの…。
まぁいいや。
今度暇なときにもっとシッカリしたの作ろう。
うるさくなくて毎日見てても飽きない壁紙ってなかなか無い。

なんか

おもいつき。

突然カスタードクリーム作り出してみたり、ご飯はレトルト食品ばっかりだったり。
すごくがんばった麻婆豆腐が作りたいので明日はやまやに行って調味料を買ってこようと思います!
山椒、山椒。

なんというか会話のリズムだったり フェティシズムだったり 女性の写真だったり 一瞬の映像だったり 笑いのツボなんてのはまさに代表格だけど、そういうものの「なんか好き!」が合う人と一緒にいたいなぁ と思うのです。


林檎が好き、花火が好き、ビートルズが好き、かわいいの・おいしいのとかのすきじゃなくて
なんかわかんないけどお前こーゆーの好きだろ、って言って あぁうんそうそう、って分かり合える感じ。
大切。
時々無性に欲しくなるもの、鉄鍋。
鍋っていうかフライパンっていうか中華のあの浅いような底がボール状になっているフライパンが欲しいと思います。
鉄鍋。すごく関係のない話で今とつぜん思い出したんですが私誕生日は1月20日だった気がします。
あっ全然関係のない話です。
電動ミキサーでも良いです
いえ、こっちの話です。


今更ですけど、いいものを作ろうとして出来たものよりも、惰性で作ったものの方が評価されるアレ、なんなんでしょうかね


「最初っから良いもの作ろうとしてんじゃねーよ」っていう神様の戒めでしょうか。
感覚を信じるって大事だと思います。
自分の作ったものを好きと言ってくれている人は、私の味が好きなわけで、「いいもの」を期待してるんじゃなくて私の味を期待してるんですよね。
確かに、レシピを見て作ったご飯より、その人が毎日食べてるような冷蔵庫のありあわせご飯の方が食べたい。そういうことでしょうか。
3時間くらいかけて描いた下書きを破り捨てて、寝起きの30分で描いた落書きの方で絵を仕上げてたりとか。
Twitterでも頭の中ダダモレの変なPostがふぁぼられてたりとか。
 俺もっと良いこといってるんだけどー
みたいな感覚は誰しもあるものかもしれません。


何が言いたいのかよくわからないですけど、私は私の心の半径7メートル以内にいる人達のことを愛しています。これからも見守っていきたいです。
あとブログのデザインを変えてみました。廻り巡って大体シンプルイズベストに落ち着くのは恒例です。

10/02/2010

金木犀の香りのする夢


人生を賭けた告白をしてまいりました。

と、言いつつ、恋愛とは全く関係のない話です。
やってもやらなくてもダメならやろうぜ、という話でした。

誰か私を褒めてー

これからどうなるか全く解らないので、というか完全に予想できないので
あとは野となれ山となれ、状態です。
あははははははは

ついでに言えば恋愛関係の悩みなんて、こんな誰が見てるかわからんネット上で吐き出したりしません。たとえ吐き出してても解らないように巧妙に吐き出します。
期待しないように。

なんか、最近おいおいおいおいおい、みたいな気分になることが多々あって
本読んで
うはーってなってます(全く何も解らない)
こういう文章を書くときは何も伝えようとしていないんです。

あ、この間友人がカーディガン着てポッケに手つっこんでるのみて、カーディガンもありだなと思いました。でも俄然パーカー派です。この時期に着ている服のセンスがいい人は、だいたいお洒落さんだと思います。ぼくもがんばりたい。

【9月に学んだ事いちらん】
・余裕を持って行動しませう
・当たり前の事が出来ない人が、当たり前の事ができるようになった時は褒めてやるべき。勿論自分が当たり前の事が出来ないんだ、と自覚のある場合である。
・うまれてきてよかった
・友達と一緒に外でのむビールはうまい。
・豆乳をのむと胸は大きくならない。やわらかくなる。

穂村弘さんブームがきています。すき。

9/28/2010

5時の鐘、染まる赤、走る影。


【ポケットにファンタジー】

ふとした切欠で聞いて、不覚にも涙した。

今、出会っている友人達とみんなで子供に戻って一緒に遊びたい。
何も無い校庭で、ケイドロしてドッジボールして、臆面もなく手を繋いで。
日が暮れるまで、走り回るんだ。ランドセル投げ捨てて。

また明日ね!って笑いながら別れてさ。

大人になった君しか知らない。
大学に入ってから出逢った人達はみんなそうだ。
君の小さな頃、どんな本を読んで、何が好きで、どんな顔で笑って、何が楽しみだったのかを私は知らない。
悲しかったことはなんだろうか。
明日を楽しみに眠りについていたのだろうか。
どんな声で、ともだちを呼んでいたのだろうか。

目の前で話すその人の過去に、思いを馳せる時がある。
今ある君は、きっと過去の集大成で、色々なものが積み重なって「君」なんだろう、と思う。
そういう過去に少しだけ手を伸ばしてみたくなる。
今の君が
悩んだり、辛かったり、笑ったり、惚気たり。
そういうものを取っ払って
みんなで子供に戻って、一緒に遊べたら。

君達と一緒に笑えたら。

あの頃、何を思っていただろうか。

もいちど、こどもに もどってみたい。

9/25/2010

confetti of love



confideって信頼する、信用するって意味と同時に、秘密を打ち明けるって意味もあるのね。


信頼ってそういう事なのかしら。
言葉は奥が深い。

自然、という言葉をGod's worksと英訳していて なるほど、と噛み締めた。
これが言外に意味を含めるって事なのかもしれない。

青空に翳る灰白い雲を見ていて、境界線の曖昧なものを見ていると落ち着く という事に気づいた。
私は目が悪いから。
裸眼でものを見ると、物の境目や輪郭がぼやけてしまう。
きちんと見極めなくてはいけない気がして、目を凝らして、ぐっと疲れる。
境目が分かったところで、何があるというわけでもないのに。

ひともそんなものなのかもしれない。
はっきりと答えを見つけて、理由を出して納得した所で何も解決になってないことがある。
曖昧なままが一番正しい時もある。
ただ、曖昧であることに不安を覚えてやはり目を凝らしてしまう。

曖昧なままでも歩けるのに、眼鏡を掛けてよく見ようとする。
レンズ越しの世界は、くっきりはっきりしているけれど見なくていいものまで、見てしまうこともあって。

それはもう曖昧なものなのだ、と認識することは難しい。

いつだって一番難しいのは認めることだ。

誰もが少しずつ欠けていて
自分にないものを他人に求めるのはきっと普通の事なんだろう。

漸近のために感情がある。

嗚呼 霞む青。古びた小説の表紙みたいな、色。